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福岡高等裁判所 昭和42年(行コ)7号 判決 1967年11月30日

控訴人(被告) 福岡国税局長・大牟田税務署長

訴訟代理人 日浦人司 外三名

被控訴人(原告承継人) 板橋テイ 外四名

主文

一  原判決中控訴人ら敗訴部分を次のとおり変更する。

二  控訴人大牟田税務署長が一審原告亡板橋醇一に対して昭和三三年一二月二六日付でなした同人の昭和三二年度分総所得金額を金三四八万一、七〇〇円とする更正処分のうち金一九五万一、九四四円を超える部分を取消す。

三  控訴人福岡国税局長が一審原告亡板橋醇一に対して昭和三六年一月二四日付でなした審査決定のうち金一九五万一、九四四円を超える部分を取消す。

四  被控訴人らその余の請求を棄却する。

五  訴訟費用は第一、二審を通じてこれを二分し、その一を被控訴人ら、その余を控訴人らの負担とする。

事実

控訴代理人は、「原判決中控訴人ら敗訴部分を取消す。被控訴人らの請求を棄却する。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人らの負担とする」との判決を求め、被控訴代理人は、「本件控訴を棄却する。控訴費用は控訴人らの負担とする。」との判決を求めた。

当事者双方の主張及び証拠の関係は、末尾添付の当事者双方の主張のほか、原判決事実摘示と同一であるからこれをここに引用する。

理由

当裁判所の判断は原判決理由記載二、6、(イ)五行目の次に、「別表第一(原判決添付の別表第一を引用する。以下同じ。)の番号1ないし18、21、22の各貸金債権は遅くとも昭和三一年度中にその弁済期が到来したことは被控訴人らにおいて明らかに争わないので自白したものとみなす。」を付加し、理由記載二、6、(ロ)の原判決二六枚目裏末行から二七枚目裏五行目までの部分を左のとおり改めるほかは、原判決理由の説示と同旨であるから右理由記載一ないし四をここに引用する。

控訴代理人は、「所得税法上所得の概念はもつぱら経済上、実質上の見地から把握すべきであり、利息制限法の制限を超過する利息であつても、経済的に見てその利息を現実に支配し、管理し自己のために享受しうる可能性の存する限りなお課税の対象たる所得となると解すべきである」と主張するが、旧所得税法第一〇条第一項にいわゆる「収入すべき金額」とは「収入する権利の確定した金額」をいうものと解され、その収入をもたらす請求権が法律的に保護されていることを要するものというべきところ、利息制限法所定の制限を超過する利息、損害金は無効であつて、その収入が法律的に保護されないものであるから、その収入の可能性は客観的に認められず、期待できないものであつて、かかる利息等の支払が当事者間で契約されたとしても、それだけでは「収入する権利の確定したもの」には該当しないといわなければならない。

尤も所得税法上所得の概念は経済的実質によつて把握すべきであるから法令に禁止された行為に基く収入であつてもそれが現実に受領された場合には課税対象としての所得を構成することは勿論であり、従つて利息制限法所定の制限を超過する部分の利息、損害金であつても既に実現された収入はこれを所得に計上すべきものと考えるが、いまだ実現されていない収入は法律的に保護されたものでなければその収入の実現は期待できず「収入すべき権利の確定したもの」ということはできないので右超過部分の利息、損害金については、その未収の段階における年度の所得として課税することは許されないと解すべきである。

ところで別表第一の番号1の貸金債権は旧利息制限法(明治一〇年太政官布告第六六号)施行当時のものであるから、未収損害金は日歩二〇銭の約定利率によつて計算すべく、その額は控訴人ら主張のとおり金二万一、九〇〇円となるが、その余の未収利息、損害金中別表第一の番号2ないし29に利息制限法制限内(B)として記載している金額(右の計算方法は元本が一〇万円未満の場合は年二割、同一〇万円以上一〇〇万円未満の場合は年一割八分、同一〇〇万円以上の場合は年一割五分とし、期限後の損害金はいずれも利率をその二倍としている。)から同表記載の既収利息を控除した金額は合計金一〇〇万七、七一九円(但し未収利息等から既収利息を控除した金額がマイナスとなる右別表番号16ないし18、21ないし23、25ないし28の場合はゼロとして計算している。)となるので、右金額に前記金二万一、九〇〇円を加算した金一〇二万九、六一九円を超える部分即ち控訴人らの主張する金融業に関する未収利息金二六七万六、九八八円から右金一〇二万九、六一九円を差引いた金一六四万七、三六九円については法律上無効なものとして請求できないからこれを課税の対象から除外すべきものと考える。

しかして右認定事実に前記引用にかかる原審認定事実を綜合すれば、被控訴人ら先代板橋醇一の昭和三二年における質屋業及び金融業に関する収入は合計金二九四万八、七三六円であり、支出(必要経費)は合計金一一四万七、六九三円であることが認められるから、同年度の事業所得は前者から後者を控除した金一八〇万一、〇四三円であり同人の昭和三二年度総所得金額は金一九五万一、九四四円(右事業所得に前記配当所得、不動産所得、給与所得を加えたもの)となることが明らかである。

従つて、昭和三三年一二月二六日付で控訴人大牟田税務署長がなした同人の昭和三二年度の総所得を金三四八万一、七〇〇円と更正した処分は同人の所得を金一五二万九、七五六円超過していることが計数上明らかであり、その意味において控訴人大牟田税務署長のなした右更正処分及びこれを正当と認めた控訴人福岡国税局長が昭和三六年一月二四日付でなした審査決定はいずれも所得税を過大に認定した違法があるので同人の昭和三二年度の総所得金額金一九五万一、九四四円を超える部分は取消すべきものといわなければならない。

ところで前記板橋醇一が昭和四一年一二月一八日死亡し、被控訴人らが相続人として同人の権利義務一切を相続したことは当事者間に争いがない。

よつて亡板橋醇一の相続人として控訴人らの右各処分を違法としてその取消を求める被控訴人らの本訴請求は右認定の限度において理由があるので、これを認容し、その余の部分は失当として棄却すべきものである。

してみれば本件控訴は一部理由があるので右趣旨に則つて主文第一ないし第四項のとおり原判決を変更することとし訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九六条第九二条本文第九三条第一項を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 中園原一 江崎弥 藤島利行)

(別紙)

(控訴代理人の主張)

一 原判決は、利息制限法所定の利率を超える未収利息につき、これをその年度の所得として課税することは許されない旨判示されている。

その理由とするところを要約すれば、(1)収入の権利確定の時期は、原則として法律上権利の行使ができるようになつたときを基準とすべきであること、(2)利息制限法所定の利率を超える部分の約定利息損害金の利息については、本来、右利息損害金の約定は無効であつて法律上何等の債権も発生しないこと。(3)利息制限法所定の利率を超える未収利息、損害金は債務者の任意の履行のみを期待しうるに過ぎず、収入の実現の蓋然性が低いから、法律上権利を行使し得る債権と全く同様に収入の確定したものとして取扱うことはできないと述べられているもののようである。

二 しかし、右理由は、以下述べるとおり所得税法の解釈を誤つたものであり、到底是認することができない。

(一) 旧所得税法第一〇条第一項にいう「収入すべき金額」とは、別段の定めがある場合を除き、収入すべき金額の確定した金額をいい、権利を行使し得る履行期限の到来した債権はもとより未収利息といえども、すでに期限が到来した以上、たとえ事実上取立が困難なものであつても、債務の免除、履行期限の延長などがなされ、その年度に収受されないことが確定したものでないかぎり、所得税法上、その発生原因が法的に許容されたものであるか否かを問わず、なお、これを右収入すべき金額ということを妨げないのである。

(二) 所得税法上、所得の概念は、もつばら経済上、実質上の見地から把握すべきであり、利息制限法の制限を超過する利息であつても、経済的に見て、その利息を現実に支配し、管理し、自己のためにこれを享受しうる可能性の存する限り、なお課税の対象たる所得となると解すべきである。

これは、一般私法と公法である税法との体系的分離から異なる法域には、異なる解釈原理が作用することからも肯定できることであり、また税法においては、「担税力に応じた公平な課税の原理」という最高理念の要請からも、一般私法上の規律には必ずしも拘束されないのであつて、このことは、旧所得税法第三条の二の「実質課税の原則」の規定および第二七条の「更正請求の特則」の規定(課税標準を把握する際の税法の観点は経済的成果を享受しうる法律上の権利があるかどうかにより決すべきではなく、その経済的成果が現実的、実質的にあつたかどうかによるべきであるとの法意を前提としている。)が存在することからも明らかである。したがつて、利息制限超過の未収利息、損害金について、これを請求しうる法律上の保障はなくても、事実上の規範力その他支配力によつて、これを享受しうる地位にあれば、課税の対象たる所得を構成するものと解すべきであり、かくのごとく解してこそ、税法の理念とする実質上の課税負担の公平を期することができるのである。

(三) 次に、原判決は利息制限法所定の利率を超える未収利息、損害金は、債務者が任意に支払いを続ける限り、事実上利得の受領を期待しうるにすぎず、債務者が一旦任意の支払いをしないような状態になつた場合に、その実現をはかる合法的な手段はなく、むしろ回収不能になるおそれの極めて高いものであるから、かような単に相手方の任意の履行にのみ期待し、納税者から合法的にこれを実現する手段を有しないような地位をもつて所得の対象となる利得を支配管理しているといえるかは少なからぬ疑問があり、少なくとも法律上権利を行使しうる債権と全く同様に収入の確定したものとして取扱うことはできないものと解すべきである、と判示される。しかし、控訴人提出の昭和三七年六月二六日付準備書面別紙三によつても明らかなように被控訴人の当該年分の制限超過の利息損害金について、既収一五一万一、六四七円(件数既収二九件、一部既収一四件)、に対し未収二六七万五、八二七円(件数 未収一五件、一部未収一四件)であるから、右既収と未収との金額の割合は既収が約三六%未収が約六四%であり、件数では既収が未収の約二倍であることと、甲第四号証乃至甲第八号証でも明らかなとおり、金融業者たる被控訴人は、当然未収利息も考慮して、債務者から相当の物的担保を提供させている事実からしても超過利息、損害金につき合法的な手段をもつてしては回収不能であるとしても、事実上の規範力、その他の支配力(例えば抵当権を実行する旨債務者に告げる等)によつて、実際にこれを回収する可能性がむしろ極めて高いというべきであるから、税法上、所得の対象となる利得を支配し、管理していると認めるのが相当である。また、原判決の理論を押し進めて行くならば、任意に支払われた法定の制限超過の利息、損害金は残存元本に充当されるのであるところ、(昭和三九年一一月一八日最高裁昭和三五年(オ)第一五一五号)、原審において、被控訴人から制限超過の未収利息、損害金について回収不能の抗弁があるのであるから、各貸付金について貸付当初にさかのぼつて利息金の支払状況を検討したうえ、当該年分について元本債権が存在するか否か未収利息債権が存在するか否か、までも計算し、未収利息を算出すべきものとも考えられるにかかわらず、これに対する判断がなされていないのは片手落の非難を免れないし、また、裁判所が債権者、債務者間の私法的な契約内容を、右当事者間で主張していないのに進んで変更するような認定をすることができるか、相当疑問が残る。

(四) してみれば、原判決が利息制限法を超過する未収利息、損害金について、例えば被控訴人が当該年分に債務者との間で制限超過の利息については放棄ないし免除する旨の特約等が成立しその年分にこれが収受されないことが確定したような事実を認めて判断されたならば格別、単に、私法上の法解釈を税法上の法域にとり入れてのみ判断されていることは誤りであることが明らかである。

(被控訴代理人の主張)

一 「収入すべき金額」(未収入の債権)とは法律上適法に債務者に対して請求し得べき債権を指すものであると解されねばならない。斯く解しなければ法律が一方に於て強行法を以てその取立を禁止しながら、税法面で右の如き違法の未収入債権に対して課税することは、国が斯る債権の請求収受を期待せんとすることとなる。法によつて国民を統治することを理念としている国家の行政上許されざる矛盾と謂うべきものである。

二 勿論斯る債権であつても之が支払われて、現実に債権者の所得になれば、之を無税のまま放置することは、却つて法令に違反した者に対し不法な利得を許容することになるので、国が之に対して相当の課税をすることが寧ろ要請せらるべきものと思う。例えば暴力を背景とした契約に則つて収受したみかじめ料に対して所得税を課するが如きは之に当り、課税しない方が却つて妥当でないと信ずる(但し、この場合でも刑法第十九条又は第十九条の二に則り没収又は追徴せられたものは、当然に所得にはならないし又課税後に刑法によつて没収又は追徴されたときは課税の更正を求めることが出来るとしなければならないと思う)。

三 然しながら消費貸借に於ける利息又は損害金中利息制限法の制限を超ゆる部分の未収入金債権は之を「収入すべき金額」と解すべからざるものと信ずる。

四 任意に支払われた法定の制限超過の利息損害金は残存元本に充当されるとする判例は、現在のところ、係争当時残存元本がある場合に於てのみについてであるが、斯る場合に於て利息(制限超過の部分)請求債権に対して所得税が既に賦課せられて居れば後に税法に従つて課税の更正を求むればよいことにすべきである。 以上

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